やり方、失敗と習
先日には尺八のクラスで演奏するとき、三谷を練習していた。先生と一緒に弾いていて、最初は大丈夫だと思ったけど、すぐに先生はそのパートをめちゃ早くやって、僕は全然続かれなかった。その後私は「ま、それは日本語の勉強と似てるようになったね!最初はうまくできると思って、急に皆さんはめちゃ早くしゃべてるので、何もわからへん!」と笑ってた。先生は「実はこの音楽って、メロディー持ってない。方しかない。方がちゃんと習うと、もっと早く出来る。」と答えた。
それを聞くと、小さな悟りを貰った。自分の日本語の勉強も一緒だと思う。文法をあまり考えないけど、その方をよく考えています。話すの方。尺八のように、話す時もよくそんな知らない方を聞こえる。そんなことが見つかったら、その新しいやるかたを調べて、出来るだけ早くそれを頭の中で習って、それによく使う。もっと使ったら、もっと自然になる。それから、もっと自然になったら、それをもう考えなくてもいい。
私にこの音楽のように習うことは一番自然だと思う。バンドでもいつも新しい音楽を勉強した時、メロディーについて全然気にしないで勉強していた。そのやり方はもっと大切だと思った。リズムとか、指のやることとか。メロディーはそのやり方の製品です。同じメロディーを千つ違う方に出来るね。演者の精神はいつも聞こえられる。
僕も、やっぱりいつも同じことがしかできない。それでも、そのことはいつも違う、自分の感情は違うんです。全然違う音楽も弾いていたら、自分のやり方が認識できられると思います。
アートの全ては大体同じと思う。精神のっ証明。千小さな線を切って、切るずつ切るそれがもっと細くなる。だけど、切ってる人はずっと同じことをやってた。やってみたくない。一生懸命やったほうがいい。やってみたら、失敗することのは間違いになる。いつも一生懸命やったら、失敗することができない。作品は違うだけど、それは自分の精神の作品中に持っていた形の証明ですね。木版画でそれをよく見てる。細い線が壊れたら、普通にそれは自分の責任ですね。気を付けなかったので、強さを考えないで切り過ぎた。しょうがない。出来るだけのりを使いたくない。そんなことはその現象の証明です。自分のガッカリすることはそのほかの人が見えない穴に入れてある。それは大切だと思います。そんなことは精神にその形があげる。その為に今度切るとき気を付けるのを忘れないよう。
ほんまに、人生も一緒と思ういます。アートって、私にこの考え方を教えてくれた。間違ったほうがいい。失敗したほうがいい。またやると、やっぱり同じ間違いまたやるかもね。でも、ゆっくり、繰り返すると、その精神は自分の形を見つけられます。私に、失敗することは一番大切なことだった。そんなことのせい苦しみがいっっぱいあって、よくその理由を全然見えなかったのに、今自分の精神の形ちゃんとに知るようになった。
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