宝塚現代美術てんてんの作品。
「生きてる本」 言語は想の舟だ。この二年の間に、日本語を習うとき、あの舟はたまに海に迷って、たまに誰も私が言いたいことを分からないであの舟は海の底へゆっくり沈んだ。この間に絶対に言語の限界もわかるようになって、昔から色々な語学事があるのに、よく自分の感情に似合ってる言葉を全く見つけられない。 それでも、日本語の勉強は多分ここまでの人生の一番大事なことだと思う。この言語って、本当に自分の心の表現力を見つけて、自分がわからないことの限界はナイフみたいに考えの複雑さを切る。その以上も、日本語の話すのは即興みたいに考えてる、単語は限定があるけど、その中でいつも早く次の言葉を選ばないといけない。時々考えより早く喋れて、同時に「これはちゃんとの日本語があるかどうかなー」と思ってるけど、皆さんはわかってくれてるらしいので、ほんまに感謝してる。 俳句から始めたので、心の表現のは大事だと思った。それから絶対にこの作品でも、言葉を使いたかった。それから、あのアイデアが現れた。生きてる本みたいにあの作品を作りたかった、そのぶら下げた言葉と詩と絵は別のチャプターみたいに天井から下がってる、違う順番に読んだらイメージも変わってるので、色々な読み方は多いだ。漢字のように。それで、この作品は真っ直ぐに言葉に影響された。かなり自分の意識にもそうだった。それ以上も、あの言葉を考えみたいに使いたかった、自分の意識のシミュレーションができるように。 「時間とスペースの絵を描く、絵を見るの現象。」 絵を描くと音楽を作るは私にいつも意識の出来るだけ本当の表現だ。そのためよく「これは音楽があるかどうかなー」と思ってるけど、そんなことでは関係ない。それははじめと終わるの間に感情を表現した自然な音だから、音楽だ。それは十分だ。 この絵らは、一番最初は二年前ぐらい描いて、一番最後は展示の搬入の朝に描いてたので、このインスタレーションで色々な長い時の間に湧いてた意識の状況を一緒に集まりたかった。やっぱり、録音された曲も色々な(かいろいろな人の)一瞬の集まることじゃないか。 それから、このインスタレーションで「間」のコンセプトは大事なことだと思います。音も、絵も、このインスタレーションは前に決めた間隔と限界が持ってる。音のループは82分だ、その間に色々な長い、ゆっくり変わってる事...